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よくよく猫を観察すれ・・・
よくよく猫を観察すれば人間の女を事新しく観察する必要がいらないのではあるまいかと思うほどである。
媚びと傲慢の精緻きわまる結合。
これほど人間の暮らしの芯にまでもぐりこみながらこれほど人間の支配を拒む、役立たずの怠けもの、憎さも憎し、かわいさもかわいしという、絶妙な、平凡きわまる生きものはほかに類がない。
『ずばり東京』より
くちびるほど外光と視・・・
くちびるほど外光と視線にさらされ、たえまなく酷使されて、ほとんどそこにあることを感じさせられることも、めったに思いださせられることもなくなった器官はあるまいと思われるが、
二時間も、三時間もかけて吸っていると、ふいにいっさいがとけてしまう瞬間がある。
『夏の闇』より
宝石
宝石
惚れあう男女の眼以上の名品はおそらく地上にも地中にも存在するまい。
しかし、いつかはじまった戦争がいつか終わるように、いつかはじまった恋もいつか終わる。
けれど、石の燦光はいつまでもつづく。
『ALL WAYS』より
ネズミ
ネズミ
ピアニストのような指をしている。
その肉は珍味である。
モルモットのフライは南米で、コウモリのスープはポリネシア諸島で、リスのパイはカナダで、また東南アジアでは揚げてよし、焼いてよし、煮てよしの三拍子で、争って食べられる。
蒙古の大草原ではタルバガンの水煮や蒸焼が珍味中の珍味である。
煮れば煮るほどうまくなり、冷めれば冷めるだけうまくなる。
『ALL WAYS』より
なにかのはずみに精神・・・
なにかのはずみに精神は "見る" ということは "そのものになることである" という作用をおこすことがあるから、動物園に入ったとたんに私は幽閉された動物になってしまうかもしれないのである。
私たちは幽閉されたブタであり、ヤフーである。
『ずばり東京』より
誰も来ない所、入った・・・
誰も来ない所、入ったことがない、靴跡もない指紋もついてない所へ入って行く。
それで大きな魚を一匹釣り上げると、妙な心理がここで働いて、ワクワクドキドキして針を外すのに手が震えるんですが、
ふっと後ろを振り返って「誰か見ててくれへんかったかなぁ」とこうゆう倒錯心理があるんですけれども。
これがなかなか克服出来ないんですね。
講演『地球を歩く』より
ある時、1968年で・・・
ある時、1968年ですがたまたまやっぱり最前線でしたけれども、魚釣りに行ったの。
戦争しているところへ。
それで皆さんお笑いになる。
私も自分でサイゴン出る時笑ったんで、人が生きるの死ぬの殺し合いしている最中に魚釣りとは何事か、といってほっぺた張りとばされたら、素直に黙って右のほっぺた差し出して、
「もう一つ張っておくんなはれ」
と言おうと思って行ったんですが、現場へ行くとまったく逆で大歓迎。
それで水を持ってきて飲めと言ったり、村長が出てきてバナナくれたりね。
そっちの所じゃダメだからこっち行って釣れとかね。
エラい優しいんです。
一宿一飯の仁義を尽くしてくれるんです。
講演『地球を歩く』より
例えば言語とか文字と・・・
例えば言語とか文字とかゆうものが出来なかった、出来ていなかった昔、時代があって、その時 「ライオン」という文字は出来ていなかったし、「ライオン」という言葉も出来ていなかったわけですね。
すると「ライオン」とは何かといいますと、強いて解説すると、強力な脚をもち、鋭い爪をもち、ものすごい牙をもっている、混沌とした恐怖のかたまり。
速くて、痛くて、鋭い、恐ろしい混沌のかたまりなんですね。
ライオンじゃなかったわけです。
ところが一度これに「ライオン」という言葉をつくってあてはめてしまいますと、ライオンはどうなるかというと、人間の意識の中でかわってしまう。
やっぱり依然として、鋭くて、速くて、恐ろしい牙をもっているけれども、ただの四つ足の獣にかわってしまうわけですね。
ここで克服できたわけです。
これが文学の始まりなんです。
講演『経験・言葉・虚構』より
だからよく「絶望の暗・・・
だからよく「絶望の暗黒文学」とゆう風な広告文句が出ますけれども、文学には絶望ということはありえない。
ドストエフスキーがどんなに人間の暗黒面を描き出して絶望を書いていても、
セリーヌがどんなにものすごい絶望を書いても、
あるいは三島由紀夫が徹底的に不毛な世界を書いていても、
字でものを書いている限り、彼はヒューマニストなんですね。
講演『経験・言葉・虚構』より
スリは孤独な芸術家で・・・
スリは孤独な芸術家である。
その芸魂は彼らの指さきの閃光に似た運動に濃縮して語られ、なんの説明もいらない。
わずらわしい知性や、くどい感性などの影響は微塵もうけぬ。
彼らは一秒に一日を賭け、いっさいから自由である。
二十世紀の生活を支配するのが "群衆のなかの孤独" という感情であるとするならば、彼こそは孤独のなかの孤独者、しかも白熱的に充実した孤独者である。
『ずばり東京』より
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