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身を粉にしてはたらく・・・


身を粉にしてはたらくことがたのしいのだというマゾヒスティックな快楽説に私は賛成しないのである。

どれだけのんびり怠けられるかということで一国の文化の文明の高低が知れるというのが私の一つの感想である。

この点では日本は "先進国" でもなければ "中進国" でもなくハッキリと、"後進国" だと私は思う。


『ずばり東京』より

たえまなく新しさを追・・・


たえまなく新しさを追いかけるのはひどく疲れることであり虚無を生むことである。



『ずばり東京』
より

煙霧の底であえぎつつ・・・


煙霧の底であえぎつつ自分の寝室を切りつめてでも庭をつくろうとする私たちは、それほど自然を尊重しながらも、公共の自然ということになると、手のひらを返したように冷淡であり、粗暴である。


たまさかの並木道や公園の汚れかた、傷みかた、衰えかたは何事であろう。

そして一歩家のなかにはいったときの、部屋や庭にしみこみ、ふえている清潔さや繊細さや美意識や秩序感覚など、この二つのものの矛盾ぶりは、何事であろう。

私たちは自然を溺愛し、自然を侮蔑しているのだ。

世界無比を誇ってよい私たちの清潔さや繊細さや美意識や造形感覚や自然愛などは、つまるところ、利己主義の温室のなかでしか息ができないのである。


『ずばり東京』より

近代化とは、利口で・・・・


" 近代化 "とは、利口で、正確で、ゆとりがないということらしい。


寛容とか、即興とか、想像力などというものは追放されるらしい。


『ずばり東京』より

いかに世に中には活字・・・


いかに世の中には活字にならないで流れてゆく言葉の数の多いことか。


小説家や批評家や歴史学者や社会科学者たちがそれぞれ群れごとに集る飲み屋が無数にあるが、そこへいって耳を傾けたら、あなたはびっくりするだろうと思う。

そういう人たちが文字に書いて発表するいけんとはまるでウラハラな、まったく正反対な意見をここらではしじゅう熱中して平気で吐いている光景にぶつかる。


『ずばり東京』
より

どこの競馬場でも競輪・・・


どこの競馬場でも競輪場でも入口が坂になっている。


だから、入るときは速いが、出るときはおそい。

「それはつまり、アリじごくということじゃないのかね」


『ずばり東京』
より

よくよく猫を観察すれ・・・


よくよく猫を観察すれば人間の女を事新しく観察する必要がいらないのではあるまいかと思うほどである。


媚びと傲慢の精緻きわまる結合。


これほど人間の暮らしの芯にまでもぐりこみながらこれほど人間の支配を拒む、役立たずの怠けもの、憎さも憎し、かわいさもかわいしという、絶妙な、平凡きわまる生きものはほかに類がない。



『ずばり東京』より

アトリエから出ると画・・・


アトリエから出ると画は金である。


いや、ときには、画家の頭にあるときからして、すでに金である。


『ずばり東京』
より

なにかのはずみに精神・・・


なにかのはずみに精神は "見る" ということは "そのものになることである" という作用をおこすことがあるから、動物園に入ったとたんに私は幽閉された動物になってしまうかもしれないのである。


私たちは幽閉されたブタであり、ヤフーである。


『ずばり東京』
より

犬好きも猫好きも、ど・・・


犬好きも猫好きも、どこか病むか傷ついているかという点では完全に一致しているのではないか、


どこか人まじわりのできない病巣を心に持つ人が犬や猫をかわいがるのではないかと思う。


『ずばり東京』
より

スリは孤独な芸術家で・・・


スリは孤独な芸術家である。

その芸魂は彼らの指さきの閃光に似た運動に濃縮して語られ、なんの説明もいらない。

わずらわしい知性や、くどい感性などの影響は微塵もうけぬ。

彼らは一秒に一日を賭け、いっさいから自由である。

二十世紀の生活を支配するのが "群衆のなかの孤独" という感情であるとするならば、彼こそは孤独のなかの孤独者、しかも白熱的に充実した孤独者である。


『ずばり東京』
より

すべての橋は詩を発・・・


すべての橋は詩を発散する。

小川の丸木橋から海峡をこえる鉄橋にいたるまで、橋という橋はすべてふしぎな魅力をもって私たちの心をひきつける。

右岸から左岸へ人をわたすだけの、その機能のこの上ない明快さが私たちの複雑さに疲れた心をうつのだろうか。


『ずばり東京』より

政治家の演説とは一種・・・


政治家の演説とは一種不可解な神経がふれあってたてるリズミカルな騒音だ。



『ずばり東京』より

古本屋歩きは釣りに似・・・


古本屋歩きは釣りに似たところがある。


ヤマメを釣ろうか、フナを釣ろうかと目的をたてることなく歩いてはいても、

たいてい、一歩店のなかへ入っただけで、なんとなくピンとくるものがある。

魚のいる、いないが、なんとなくわかるのである。


『ずばり東京』より

国家が私に対してして・・・


国家が私に対してしてくれたことのみについて私は国家にそれだけの範囲内で何事かを奉仕してもよいと考えてはいるけれど、


いまの日本国家についてはそんなことを感じたことがない。


気質の中心において私は無政府主義者である。



『ずばり東京』より