「パリ」、そしてフランスは、初めて訳した詩人たち、リルケの暮した街、サルトル、ボーボワールなどの思想家・文学者との精神的な親近感や憧れを、開高健のなかに育んだ場所であり、遠くアラスカ、アマゾン、南北アメリカ大陸縦断、モンゴルといったのちの旅の出発点にきわめて近い土地でもあったのではないでしょうか。作家は後々まで、サルトルとの出会いを語り、フランスのワインとジョークを愛し、シャンソンを原語で歌うのを好みました。
開高健記念会ニュース
開高健記念館の企画展示が「開高健とパリ」にかわりました。
前回は「河は呼んでいる—開高健とアラスカ—」展。
小説やエッセイなどでも度々描かれているパリ。
楽しみです。
最後にサルトルについての記述があるエッセイを二つ。
ああ。二十五年―開高健エッセイ選集 (光文社文庫)
声の狩人 開高健ルポルタージュ選集 (光文社文庫)
この身なりかまわぬ、汚ならしくて、陽気な小男は、博識のために行方を失うということがなかった。
私は彼の小さな後ろ姿に・巷の哲学者・の印象をうけて見送った。
彼は、その前夜、バスチーユ広場の群衆の中にいた。
殺到する国警の棍棒の中で、逃げまどう群衆の一人として、短い足で外套をひきずりひきずり必死になって凍てついた舗石のうえを走りまわっていたのである。
あれほど広大で濃密で聡明な、また、ときほぐし難く錯綜した、思考の肉感の世界をペンで切りひらいておきながら、もっとも単純な正義への衝動を失っていない。
四方八方を完全に閉じられた、敗れることのわかりきった広場へ殴られにでかけている。
書斎で彼は、何度となく、あらゆる角度から、知識人の非行動性についての憎悪と焦燥と絶望を描いたが、自身は明晰なままでとどまっていられないのだ。
ごぞんじ開高健より