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物には五味などという・・・
物には "五味" などというコトバではいいつくしようのない、おびただしい味、その輝きと翳りがあるが、もし "気品" ということになれば、それは "ホロにがさ" ではないだろうか。
ことに山菜のホロにがさである。
それには "峻烈" もあり、"幽邃" もこめられているが、これほど舌と精神をひきしめ、洗い、浄化してくれる味はないのではないだろうか。
ひとくちごとに血の濁りが消えていきそうに思えてくる。
『白いページ』より
かつて人類はアタマで・・・
かつて人類はアタマで立って走ったことはないとヘーゲルが喝破したことがあるが、ふくれたハラをアタマでどうやってヘらすかにヒトは没頭する。
この時代の特徴は想像力の枯渇であり、演出の氾濫である。
『生物としての静物』より
外国に行ったらまずす・・・
外国に行ったらまずすべきことーーー
それはタクシーの運ちゃんの話に耳を傾けること。
市場へ行くこと。
それから土地の女と寝ること。
寝なくてもいい、恋をすること。
恋をしなくてもいい、買ってでもいいから寝るということ。
それから、新聞の三面記事を読むこと。
それから、その国の二流の小説を読むこと。
『地球はグラスのふちを回る』 より
いささか観察というこ・・・
いささか観察ということに素養のある人ならば、河馬には何がしかの敬意をおぼえないではいられないはずである。
なぜなら、もしゴリラの顔に漂う一種の高貴さを "剽悍なる憂鬱" と呼ぶとするならば、河馬の顔に目撃されるそれは、"偉大なる怠惰" と呼ばれていいものだからである。
怠惰はそのような相貌を持つことがあると、大いにして精緻なる自然は暗示してくれているのである。
『白いページ』より
本当に30代というの・・・
本当に30代というのは激しい。
そのときにはわからない。
自分で埋没しちゃってるからね。
10年経って振り返ると、エライことを俺はやってたな、ということになる。
各人それぞれにそういうことになるんじゃないかしらね。
今は君は、アニマルでもあるが人間でもあるんで。
やりたいことをやんなさい。
後で後悔しなさんな。
やりたいことをやんなさい。
DVD『河は眠らない』より
総じて言うて人生は短・・・
「総じて言うて人生は短い。だからランプの消えぬ間に生を楽しめよ」
アルトゥール・シュニッツラーという人が言いましたが、すかさずたくさんの声が、
「私ならランプが消えてからにしたいわ」という答えが戻ってきそうであります。
全くその通りなんでありますから、私が言うまでもない。
現代の日本の若いジェネレーションは、私よりはるかに賢く、はるかに奔放に楽しんでいるでしょう。
何も言うことはありません。
やれるうちにやんなさい。
DVD『河は眠らない』より
これからあとの人生は・・・
これからあとの人生はオマケだ。
1964年2月14日、ベトナム戦争に従軍していた開高健は、ジャングルでベトコンに包囲され一斉攻撃を受ける。
生存者は200名中わずか17名。
『白いページ』より
感情、お金、女、旅・・・・
感情、お金、女、旅、命、言葉、嘘、真実、官能、時間、酒。
何でもいい。
一つでもいい。
三つでもいい。
とめどなくでもいい。
とにかく "浪費" という言葉にふさわしいような生の浪費をすることが小説家にとっては蓄積になるのだという厄介な原理が金持国でも貧乏国でもおかまいなしに襲いかかってくるので私はつらい。
『白いページ』より
酒を飲んでいるとたい・・・
酒を飲んでいるとたいてい昔のことを思いだす。
昔のことを思いださずに酒を飲むというようなことはあり得ないね。
ということはダ、なつかしいか、にがいか、それは人によるとして、つまり弔辞を読んでいるということなんだよ。
みんな酒を飲むときはそれと知らずに弔辞を読んでいるのだよ。
『白いページ』より
身を粉にしてはたらく・・・
身を粉にしてはたらくことがたのしいのだというマゾヒスティックな快楽説に私は賛成しないのである。
どれだけのんびり怠けられるかということで一国の文化の文明の高低が知れるというのが私の一つの感想である。
この点では日本は "先進国" でもなければ "中進国" でもなくハッキリと、"後進国" だと私は思う。
『ずばり東京』より
人の一生のうちで食の・・・
人の一生のうちで "食" の右にでられるものといっては "眠" のほかに何もない。
食べて、寝て、さめる。
あとの一切のムズムズはその二つが確保されたあとではじまる。
『もっと遠く!』より
真の悦楽には剛健の気・・・
真の悦楽には剛健の気配がどこかになくてはいけない。
ここが大事なところである。
悦楽はそれに溺らせきらさない何事かとの争いのなかにかろうじて汲みとれる一滴なのであるから、ホイホイぬくぬくしていては、イケないのである。
『私の釣魚大全』より
江戸の笑いはウィット・・・
江戸の笑いはウィットであり、乾いていて、閉じており、しばしばさびしくもあり、効果としては上半身での微苦笑であることが多かった。
上方の笑いはユーモアであり、感性であって、濡れており、開いていてにぎやかで、浮揚し、全身で笑わせようとたくらむ。しばしばたくらみよりは無手勝流の即興で翔びたとうとする。
どちらが上質であるかはもとより論外。
好みの選択である。
人それぞれの好みである。
『開口閉口』より
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