ご訪問ありがとうございます。現在更新休止中です。

いささか観察というこ・・・


いささか観察ということに素養のある人ならば、河馬には何がしかの敬意をおぼえないではいられないはずである。

なぜなら、もしゴリラの顔に漂う一種の高貴さを "剽悍なる憂鬱" と呼ぶとするならば、河馬の顔に目撃されるそれは、"偉大なる怠惰" と呼ばれていいものだからである。

怠惰はそのような相貌を持つことがあると、大いにして精緻なる自然は暗示してくれているのである。


『白いページ』より

0 件のコメント: