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編集者の眼というもの・・・
編集者の眼というものはどの新聞社、どの出版社でもおなじことだが、右の眼はよどみ、左の眼は感じやすくてよくうごくという構造になっている。
右の眼は倦怠と不感、左の眼は辛辣と多感、それがべつべつにうごいたりいっしょにうごいたりする。
『もっと遠く!』 より
この広場では、私は見・・・
この広場では、私は《見る》ことだけを強制された。
私は軍用トラックのかげに佇む安全な第三者であった。
機械のごとく憲兵たちは並び、膝を折り、引金をひいて去った。
子供は殺されねばならないようにして殺された。
私は目撃者にすぎず、特権者であった。
私を圧倒した説明しがたいなにものかはこの儀式化された蛮行を佇んで《見る》よりほかない立場から生れたのだ。
安堵が私を粉砕したのだ。
私の感じたものが《危機》であるとすると、それは安堵から生れたのだ。
広場ではすべてが静止していた。
すべてが薄明のなかに静止し、濃縮され、運動といってはただ眼をみはって《見る》ことだけであった。
単純さに私は耐えられず、砕かれた。
『ベトナム戦記』より
もし少年をメコン・デ・・・
もし少年をメコン・デルタかジャングルにつれだし、マシン・ガンを持たせたら、彼は豹のようにかけまわって乱射し、人を殺すであろう。
あるいは、ある日、泥のなかで犬のように殺されるであろう。
彼の信念を支持するかしないかで、彼は《英雄》にもなれば《殺人鬼》にもなる。
それが《戦争》だ。
『ベトナム戦記』より
鳥獣虫魚や失われた大・・・
鳥獣虫魚や失われた大陸や前世紀の怪物のことなどを書いた本は精神衛生にとてもいい。
新鮮だし、遠大だし、無邪気、純潔であり、想像力を刺激してくれるのである。
いやな毒や膿む傷をうけないだけでなく爽やかで透明な背景を作ってくれるのである。
『白いページ』より
煙霧の底であえぎつつ・・・
煙霧の底であえぎつつ自分の寝室を切りつめてでも庭をつくろうとする私たちは、それほど自然を尊重しながらも、公共の自然ということになると、手のひらを返したように冷淡であり、粗暴である。
たまさかの並木道や公園の汚れかた、傷みかた、衰えかたは何事であろう。
そして一歩家のなかにはいったときの、部屋や庭にしみこみ、ふえている清潔さや繊細さや美意識や秩序感覚など、この二つのものの矛盾ぶりは、何事であろう。
私たちは自然を溺愛し、自然を侮蔑しているのだ。
世界無比を誇ってよい私たちの清潔さや繊細さや美意識や造形感覚や自然愛などは、つまるところ、利己主義の温室のなかでしか息ができないのである。
『ずばり東京』より
ふつう先進国とされて・・・
ふつう "先進国" とされている諸国では人生が家のドアと、窓と、壁の内側で進行しつつある。
しかし "途上国" とされている諸国では、"生" の様相のすべてがとまではいわないにしても、おびただしくが、路上でつぶさに目撃できる。
苦。労。愉。笑。飢。哀。訴。諦。死。
生の諸相のほぼすべてが路上でまざまざと目撃できる国である。
『もっと遠く!』より
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