サルトル
この身なりかまわぬ、汚ならしくて、陽気な小男は、博識のために行方を失うということがなかった。
私は彼の小さな後ろ姿に “ 巷の哲学者 ” の印象をうけて見送った。
彼は、その前夜、バスチーユ広場の群衆の中にいた。
殺到する国警の棍棒の中で、逃げまどう群衆の一人として、短い足で外套をひきずりひきずり必死になって凍てついた舗石のうえを走りまわっていたのである。
あれほど広大で濃密で聡明な、また、ときほぐし難く錯綜した、思考の肉感の世界をペンで切りひらいておきながら、もっとも単純な正義への衝動を失っていない。
四方八方を完全に閉じられた、敗れることのわかりきった広場へ殴られにでかけている。
書斎で彼は、何度となく、あらゆる角度から、知識人の非行動性についての憎悪と焦燥と絶望を描いたが、自身は明晰なままでとどまっていられないのだ。
開高健ルポルタージュ選集『声の狩人』より
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